今回のレッスンはO barquinho 小舟の後半部分のレッスンです。。前半と後半のメロデーが同じなので、ポルトガル語を乗せるのも少しは楽になるかしら。。。
当時、若かったRoberto Menescalは釣りが大好きで、週末にはRonaldo Bôscoli達と共に避暑地のCabo Frio(綺麗な海〜)に行っていたようです。。写真を見ただけでうっとりするような海!
RobertoがYouTubeで、この曲が生まれた経緯を話していました。。その内容では 、
Nara Leaõ ,Ronaldo Bôscoli,Tmba Trioのメンバーそして自分の彼女も一緒によく釣りをしに行って舟に乗ってたんだけど、エンジンをかける時の ダカタカタカタカ〜、ダカタカタカタカ〜からインスパイヤーされ、ある日、釣りから帰ってからナラの部屋でそれを思い出しギターでコードをつけてみたんだ〜。。そうして生まれたのがこの曲。。
Tama TrioメンバーはLuis Eça(p),Bebeto Castiho(B&Fl&Sax), Helcio Milito(Dr)
Naraのアパートではいつも音楽集会が開かれていたそう。。
この曲が生まれた時はまだNaraと作詞したBôscoli が付き合っていた頃だから一緒に釣りに出掛けていたんですね。。BôscoliがNaraを思って作詞したと書いてあるのも頷けます。。
しかし、この曲をはじめに録音して、大ヒットさせたのはMaysa でした。。
この曲ができた頃、Naraはまだアマチュアだったこともあり、歌ってはいなかったそう。(歌いたくなかったとも考えられますね。。)
BossaNovaが注目されるようになって、それまで歌っていたムード歌謡からBossaNovaへの路線変更を願っていたMaysaとBoscoliが出会って、いい仲になり、、、いつの間にか この曲『O Barquinho』はMaysaによって初録音され、LPのタイトルにもなり、大ヒットしたのでした。。
Maysaにアルゼンチンでの1週間のライブの仕事が入り、その音楽監督にBoscoliをオファー。
バンドの方は、ギターはMenescal,ベースはBebeto,ドラムEelcio Milito, 二人のピアニストLuis EçaとLuis Carlos Vinhas( Beco Das Garrfasのピアニスト)
BoscoliはSamba ならVinhas.そのほかはEçaという風に考えていたそう。。(★このお二人の演奏の特徴を私も探ってみたい。。。)
で、ツアーは延びて、ウルグアイ〜チリを周り2ヶ月の旅に。。その旅から戻って来る時、Maysa自らBôscoliに内緒で空港に山の様なジャーナリスト達を呼び、Bôscoliと腕を組んでタラップから降りて、取材陣に結婚の報告したそう!もちろんそんな事は約束さえしていなかった。
後にBôscoli自身が、『Maysaと恋に落ちてしまった。MaysaはNaraと違い快楽主義で、夢中だったし、ベテランだった、、、、』と自身の本で長々と言い訳を書いているそう。。
婚約中だったNaraとの仲は終わった!